【今日のつまらない無駄話(導入)】
実はボクの地元には元禄時代から続く伝統和菓子「鯨ようかん」という銘菓があります。
これがまたモチモチしてて美味しいんですよねぇ~!
さて、社畜として人生下道街道を突き進むボクは「鯨(げい)」を食べて「下位(げい)」を極めるとしますか…。
( -д-)=з
さて!
本日はかのレジェンド芸人・北野武さんが「鯨(げい)」を食べて「芸(げい)」を磨いていた若かりし頃の自伝青春映画のご紹介です!
『浅草キッド』
■メディア:映画フィルム(Netflix)
■ジャンル:自伝ドラマ
■放映時間:2時間2分
■発表年度:2021年
■製作の国:日本
■映像監督:劇団ひとり
■脚本作家:劇団ひとり
■原作作家:ビートたけし
深見 千三郎
演:大泉 洋(当時:48歳)
ビートたけし
演:柳楽 優弥(当時:31歳)
千春
演:門脇 麦(当時:28歳)
ビートきよし
演:土屋 伸之(当時:42歳)
麻里(深見の妻)
演:鈴木 保奈美(当時:54歳)
東 八郎
演:尾上 寛之(当時:35歳)
井上 雅義(作家志望の先輩)
演:中島歩(当時:32歳)
高山(先輩の芸人)
演:古澤 裕介(当時:45歳)
大学を中退した主人公は当てもなくバイト生活を送っていた。
ある時、浅草の有名芸人に弟子入りし、芸人としての道を歩み始める。
様々な葛藤を抱えながら、芸人として漫才師として成長し大成していく。
【ちょっと感想】
何年ぶりかの大号泣、とっても素晴らしい作品でした!
エモい、熱い、ほろ苦い。
劇団ひとりさんの浅草と北野武さんに対する愛が産んだ情熱の力作です!
見事な「葛藤劇」でした。
Netflixで首位を獲得したセピア色の青春物語を是非ご覧ください!
追伸:
なんで、なんで作中で千春ちゃんと麻里さんのお〇ぱいを見せてくれなかったんですか…。
劇団ひとりさん、芸人根性見せて下さいよ!
“R指定作品”になってもいいじゃないですか!
“R-指定”さんだって出演されてるんだから!
ヾ(#`Д´)ノキエェェー
【映画】『浅草キッド』が面白い理由
(ストーリー論的に考察・評価・レビュー)
今回はNetflix作品『浅草キッド』のご紹介です。
超有名芸人ビートたけし(北野武)さんと、師匠である深見千三郎さんとの関係性を描いた自伝的青春ストーリーです。
感想でも触れた通り、とても素晴らしい感動作でした!
俳優陣の素晴らしい演技や、監督/脚本の劇団ひとりさんの才能と情熱が見事に表現されたと感じています。
自伝ということもあり、この手の作品を分析してしまうのはいささか野暮かとも思いますので、今回は学ばせていただいたことをベースに賞賛ベースで記事にさせていただければと思います。
まず前提として、有名人を扱った自伝作品は、ある程度のストーリーや登場人物に予備知識があるので、入り込みやすく、いくつかの説明を省けるというメリットがあります。
(ダラダラとした前置きが要らない。)
かつ、今やレジェンド芸能人の過去が描かれるという点では、一定の引きもあり、“答え合わせの快感”も生まれます。
(「へー!ビートたけしさんって最初はエレベーターボーイとかやってたんだぁ~!」)
たまに、冒頭に結末を表現して、そこに至るまでの過程を描くストーリー手法も散見されますが、実話をベースにしている自伝作品の方が、圧倒的に効果が高いとも言えます。
また、自伝作品なので、描かれる内容が必然的に「正解」となるので、視聴者を納得させる前提や説明描写も不要です。
よっぽど突拍子もない表現でもなければ、見る人がそのまま納得してくれるのもメリットなので、どちらかというと整理整頓のセンスが問われる領域でもあります。
補足として、「誰も見てない漫才舞台」「苦しい家計」「高みの人物が堕ちていく様」など、心の揺さぶりもバッチリでした。
さて、ここまでが自伝作品に関する特徴ですが、本作のより秀逸な部分としは「葛藤劇」について取り上げさせていただきたいと思います。
「葛藤」を自称で引くと、「心の中に相反する動機・欲求・感情などが存在し、そのいずれをとるか迷うこと」や「心理的もつれ、悶着、あらそい」などが出てきます。
平たく言うと「迷い」です。
物語の基本は「ぶつかり合い」や「争い」であることは何度か申し上げてきましたが、この「葛藤」もその中のひとつです。
(みんなが仲良しで平和な日々であれば、ストーリーではなく日記となるため。)
で、本作の特徴としては、「悪い敵役がいなかった」ということが言えます。
ぶつかり合いを生む上では、主人公に対し悪役が現れて、あれこれ戦うというのが一番分かりやすいですが、主人公(ビートたけし/演:柳楽優弥)と、その師匠(深見千三郎/演:大泉洋)は仲たがいするものの、あくまで師弟関係であり、いがみ合ったり、直接競争する描写はほぼありませんでした。
お互いを憎み合ってもいません。
売れっ子芸人を目指す青年が、心の中で抱える迷い(葛藤)をベースに、引き込まれる人間ドラマが成立していました。
この手の作品を描くには、とても繊細かつ丁寧な描き方が必要です。
登場人物たちの心情が複雑過ぎてもダメだし、簡単すぎてもダメ、かといって大げさに演出すると冷める、といったように、とてもデリケートです。
そして、この手法が成功することで生まれる最大の特徴は「視聴者の中で補足説明の余白が生まれる」という点です。
どういうことかと言うと、「登場人物がセリフとして言わない言葉を視聴者が自分の言葉で代弁する」ということです。
例えば、ヒロインであるストリッパーの千春は、本当は歌手になりたい人でした。
途中、舞台の特別プログラムとして千春は客前で歌を歌うチャンスに恵まれ、拍手を受けます。
しかし、客からは「歌もいいけど早く脱いで!」と野次が飛んできます。
この時、千春は気丈にプロとして立ち回りますが、本心は違ったはずです。
(どうせ私の歌なんて誰にも求められていない。夢は諦めないといけないんだ。本当に悲しい…)
「こんな風に思ってるんだろうなぁ~」とセリフでは言われていない心情や本心を、視聴者が代弁出来ることで、より没頭感が生まれるというカラクリです。
ここには強い納得感が生まれないといけないので、複雑すぎて突き放してもいけないし、単純過ぎて想像しがいがないものでもいけないという訳です。
これが逆に、アクションものやヒーローもののように、敵と戦う(葛藤)シーンだと、「殴られたから痛かった」という物理的な事実のみで、分かりやすいのはいいのですが、”視聴者の解釈”が生まれずに終わってしまいます。
(この手の作品を否定する意図ではありませんこと悪しからず。戦いの中にも葛藤を埋め込むことももちろん可能です。)
総じて、情熱、技術、バランスなどが見事にマッチした素晴らしい作品だったと考察します。
以上、『浅草キッド』という作品に秘められたの面白さの正体についての解説と考察でした。
ご高覧くださり、ありがとうございました!
(また読んでね^^♪)
「心情的葛藤」には「視聴者の補足説明」という余白と没頭が生まれる!
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