【面白い物語.89】映画『マディソン郡の橋』
【今日のつまらない無駄話(導入)】
「この世の全てが欲しい!」なんて言わないよ。
だって、「全て」ってことは、その中には「裏切り」も「苦しみ」も「別れ」もあるんでしょ?
(あと社畜生活も…)
o(´^`)o ウゥゥ…
さて!
本日は田舎の平凡な主婦が裏切りを犯してしまった上、別れに苦しむ、切ない大人のラブストーリー作品のご紹介です!
『マディソン郡の橋』
【基本情報】
■メディア:映画(洋画)
■ジャンル:不倫ラブ・ロマンス
■放映時間:2時間14分
■発表年度:1995年
■製作の国:アメリカ合衆国
■映像監督:クリント・イーストウッド
■脚本作家:リチャード・ラグラヴェネーズ
■原作作家:ロバート・ジェームズ・ウォラー
■興行収入:約267億円
ロバート・キンケイド役(兼 監督)
演:クリント・イーストウッド
(当時:65歳)
フランチェスカ・ジョンソン役
演:メリル・ストリープ
(当時:46歳)
【ざっくりあらすじ】
主人公は田舎町に住む結婚15年目の専業主婦。
ある日、夫と二人の子供が丸4日家を留守にすることとなる。
一人で家事に勤しんでいると、そこに一人の中年カメラマンが現れた。
二人は互いに惹かれ合い、許されないと知りながらも禁断の恋に落ちていく。
【ちょっと感想】
大人のリアルなラブストーリーですね。
奇をてわない上品な展開、細部に繊細さを宿す演出、そして何より、メリル・ストリープの演技力!
詳しくは後述しますが、本当にすごい作品です。
筆者のような独身青二才さえも最後まで惹きつける作品力、是非ご覧ください!
追伸:来週は有給を取ったので「4日間」の出勤なのですが、それでも「永遠」と感じるほど長い…。
【映画】『マディソン郡の橋』が面白い理由
(ストーリー論的に考察・評価・レビュー)
今回は、不倫をテーマとしたラブ・ストーリー『マディソン郡の橋』のご紹介です。
アメリカで発表された、同名ベストセラー小説の映像化作品です。
巨匠「クリント・イーストウッド」がメガホンを取り、「メリル・ストリープ」をヒロインに迎えた、大人の不倫ドラマでした。
お二方、とてもハマり役な印象でした。
本作は、中年男女の不倫劇であることから、テーマ性の強い作品であり、見られる方の状況や立場によって、様々な見解と解釈が生まれると思います。
本項では、本作の魅力を語る形で、「不倫もの」作品について、考察と解説をさせていただければと思います。
「ラブ・ストーリー」は、物語の中でも一大ジャンルであり、かつ、他のジャンル作品においても、恋愛要素として組み込まれることが実に多いです。
その中でも、「不倫」という題材は、ストーリーを構成する上では、とても便利な設定です。
基本的な理由としては、許されない恋の中で、葛藤や争い、奪い合い、対立など、物語を際立たせる要素が多いためです。
要は、緊張感のあるドラマが生まれやすいということです。
しかし、本作は不倫ものでありながら、それらのセオリーとは一線を画した構成でした。
いろいろと語りシロはあるのですが、一言でいうと、「狙い過ぎてない」ということです。
通常、不倫ものでは、不倫相手と夫が直接対面し、「さぁ、どうなる?」や、「夫が帰ってくる!バレる!隠れて!」的なハラハラドキドキ、刺激の強い演出を施しがちですが、本作では、そういった演出がほぼありませんでした。
出来事としても、家族の留守中に偶然カメラマンの男が訪ねてきたという日常でした。
「襲われてるところを助けられた」や「遅刻しそうになって走っていたら曲がり角で転校生をぶつかった」というセンセーションなものでもありません。
おまけに、現れたのは中年のカメラマンで、分かりやすく若いイケメンでもありませんでした。
純粋に、ロバート・キンケイド(演:クリント・イーストウッド)と、フランチェスカ・ジョンソン(演:メリル・ストリープ)の2人の心の葛藤だけで成立させた、超剛腕作品です。
大げさな展開もなく、ほぼ二人の会話劇だけです。
(劇場予告編にも、その毛色が色濃く出ていました。)
それらだけで成立させていたのは、細部に宿る繊細な演出と共に、メリル・ストリープの演技力でした。
・静かにドアを閉めるロバート。
・膝に手が当たり意識が始まる。
・雨の中、最後のチャンスで車のドアに手をかける葛藤。
「主婦という生活に疲れと飽きを感じていた中年の人妻が、ほんの些細な刺激を求めて迷ったんだろうなぁ」と、脳内での補足説明をさせる余白も見事なものでした。
(視聴者に対し没頭感を生む「補足説明」の理論は別記事をご高覧ください。)
都会や広い世界に憧れを抱いていた主人公が、世界を旅して回る相手に好意を持ったのも自然ですし、故郷の話で盛り上がったのも自然です。
(海外へ旅行中、地元が同じ日本人に合うとテンション上がりるあの感じを繊細に表現していました。)
家庭にも特に問題がなく、子供は愛してるし、夫のことは決して嫌いじゃない。
つまり、不倫したいという強い衝動や動機付けが過度には演出されておらず、狙い過ぎた構成でもありませんでした。
夫との仲が悪かったり、DVを振るうなどの描写があれば「そんなヤツ捨ててロバートについて行っちゃえ!」という応援心理が生まれますし、夫とすごくラブラブだったら、「どっちの男を取るんだ!?」という情報価値が生まれますが、本作はどっちにも振り切っていませんでした。
少し汚い言い方をすると、小手先の技術でごまかすのではなく、愛と恋に全面的に照準を合わせ、そのクオリティのみで珠玉を描いたのが本作でした。
「ふり幅がないからこそ、多くの普通な恋愛映画の中で光るものがあった」
「超有名な2人を起用した上で、この構成だからこそ、逆に光ったのかも」
など、いろいろと仮説は立ちますが、やはり、最後にものを言ったのは、針の穴に糸を通すような繊細さと、地に足がついた超リアリズム、武器に逃げない正面勝負などの功績だったと考察します。
以上、『マディソン郡の橋』という作品に秘められたの面白さの正体についての解説と考察でした。
ご高覧くださり、ありがとうございました!
(また読んでね^^♪)
「不倫劇」はドラマが生まれやすい優秀なフォーマット!
この記事を書いた人
~物語論研究20年~
~処女作が大手小説新人賞一次に通過~
~ポートフォリオ作品が新人賞最終選考~
~高い実績を持つ業界専門家から指導経験有~
~文章/文書に関し多くの資格を保有~
~大手外資系企業勤務(一流社畜)~
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