【面白い物語.56】映画『インビジブル』
【今日のつまらない無駄話(導入)】
高校生の時、机で居眠りしてました。
で、ほら、寝てる時、身体がビクッってなるやつあるじゃないですか。
アレの人生特大級のやつが出て、授業中に机をひっくり返してしまいました。
いや、まじ、消えてなくなりたいほど恥ずかしかった…。
( ;∀;)
さて!
本日は本当に消えた無くなったある天才科学者が狂気乱舞するおすすめSF映画のご紹介です!
『インビジブル』
【基本情報】
■メディア:映画
■ジャンル:SF・サスペンス
■放映時間:1時間52分
■発表年度:2000年
■製作の国:アメリカ合衆国
■映像監督:アンドリュー・W・マーロウ
■脚本作家:
アンドリュー・W・マーロウ
ゲイリー・スコット・トンプソン
■興行収入:約106億円
セバスチャン・ケイン役
演:ケヴィン・ベーコン
(当時:42歳)
リンダ・マッケイ役
演:エリザベス・シュー
(当時:37歳)
マシュー “マット”・ケンジントン役
演:ジョシュ・ブローリン
(当時:32歳)
サラ・ケネディ役
演:キム・ディケンズ
(当時:35歳)
カーター・アビー役
演:グレッグ・グランバーグ
(当時:34歳)
フランク・チェイス役
演:ジョーイ・スロトニック
(当時:32歳)
ジャニス・ウォルトン役
演:メアリー・ランドル
(当時:28歳)
セバスチャンの隣人女性役
演:ローナ・ミトラ
(当時:24歳)
ハワード・クレイマー博士役
演:ウィリアム・ディヴェイン
(当時:61歳)
【ざっくりあらすじ】
天才科学者である主人公は、チームと共に生物の透明化を研究していた。
動物実験では成功するも、更なる名声を求め、自らを被検体に人体実験を行う。
透明人間となることに成功するも、元に戻る方法が見つからず、だんだんと精神が崩壊していく。
【ちょっと感想】
意外と取り扱われない透明人間という題材。
SF系にありがちな難して無駄な描写も少なく、ちゃんと理解が追い付く面白さです。
夢と想像力が広がる題材ではありますが、意外とストーリーの観点では難しい題材だなということは、とても参考になりました。
透明人間を題材にした面白い作品と言えば、コレ!是非ご覧ください!
追伸:ボクはすでに会社では透明人間です。
【映画】『インビジブル』が面白い理由
(ストーリー論的に考察・評価・レビュー)
今回は、透明人間を扱ったアメリカのSF映画『インビジブル』のご紹介です。
天才科学者やマッドサイエンティストが、資金繰りなどに追われ、超えてはいけない一線を越えるのは、鉄板の導入パターンでした。
本作も、その展開を皮切りに、狂気と人間ドラマが描かれていました。
SF代名詞のひとつでもある「透明人間」という題材ですが、意外とその作品群は多くなく、ヒット作で言うと、本作くらいではないかと思います。
夢や想像力が膨らむテーマではありますが、比較的少ないのはどうしてか。
この点に関し、少し指向を変えて「透明人間という題材における不便さと向いてる描き方について」述べさせていただきます。
実はこの「透明人間」という題材、ストーリーを描く上では、少々不便な点が多くあります。
透明になってしまえば、ほぼ無敵状態で何をするにも楽勝で終わってしまいます。
あっさり終了を防ぐためにライバルを出すという手もありますが、透明人間同士の戦いは見ててあまり面白くありません。
そこで、透明人間に対して、何かしらの弱点や欠点(時間制限など)を用意して、ハラハラドキドキ感を描くこともできますが、ハラハラドキドキなら、わざわざ透明人間の設定は必須ではありません。
SF作品として、透明人間に至るまでの科学的な根拠のあれそれを描いても素人には理解が出来ず、やはり面白みに欠けてしまいます。
また、透明人間と聞くと、「覗き」を始めとした、いかがわしい鉄板のパターンが存在します。
(どうしても想像しちゃうんですね。)
スケベに限らず、透明人間というと、見ている人はどこかブラックな展開を期待して見てしまうのに対して、あえてそれを外し、お上品なストーリーをこねくり回してしても、その期待値を超えるのは極めて難しいです。
悪い意味で期待を裏切り、視聴者にすかしを与えてしまいます。
(エロとスケベは最強説。)
例えば、透明になって、好きな人の秘密を知ってしまい、それにどう向き合うか、みたいな人間ドラマを描くことも考えられますが、そもそも秘密を偶然知るならわざわざ透明人間でなくても、いろいろな展開を作ることが出来ます。
では、透明人間という題材は無理ゲーなのかと言うと、もちろんそんなことはなくて、上手く性質を利用して、面白実のある展開を描くことが出来ます。
一番向いているのはやはり、本作でも大きく触れていましたが、人間のいやらしい部分や、狂気を土台にしてたドラマなどです。
人は誰しも、その作品展開を見ながら、自分に置き換える性質があるので、「自分が透明人間になったらどうしよう」ということを考えます。
なので、そこの部分を裏切らず、悪い心の部分を刺激する方が、作品との距離が近くなります。
仮に、聖人君子のような人物が透明人間になれたとして、世のため人の為、と善行ばかりを繰り返してしまえば、「きれいごと言うな、そんな訳ない。お前だって好きな人の着替えが覗きたいはずだ!素直になれよ!」と小さな反感を買ってしまいます。
本当の本当に、その人が聖母マリアのような心を持っていたとしても、視聴者が信じなければ、それは嘘になります。
要はリアリティがないのです。
(道徳的観念は置いといて)そこに無理に抵抗するより、視聴者に寄り添った描き方をした方が面白さという観点では吉です。
ではなぜ、こうも透明人間というのは、人間の汚い部分が露骨に現れるのか、その部分を簡単に整理していきます。
透明人間というのは、とても大きな力で、その力を使って、欲望を叶えたり、問題を解決したり、相手を倒したりできます。
例えば、魔法(透明人間以外)という大きな力を手に入れても、同じことが出来ます。
この二つの決定的な違いは、「匿名性」です。
行った善行を名誉にできるか、行った犯罪を隠匿できるか、の違いです。
・魔法の杖を使って魔王を倒した→市民から拍手喝采。
・魔法の杖を使って女の子のスカートをめくった→白い目で軽蔑。
・透明人間になって誘拐犯から子供を助けた→透明で行ったので活躍を理解してもらえない。
・透明人間になってお風呂を覗いた→誰にも気づかれないので無罪放免。
ざっくり、こんな感じです。
つまり、自分という存在や名前、アイデンティティが表に出てるか出てないか、世間の評判に影響を与えるか、与えないかで、行ったことに対するメリットとデメリットが180度違うことになるからです。
シンプルな利害関係の面から、どうしても、透明人間というのは、人間のダークサイドに落ちがちということが言えるでしょう。
つまり、人間はやっぱり「面子(めんつ)」や「プライド」が、大きな要素を占めるということも、導き出されると考察します。
匿名性の高いSNSで、なりふり構わず有名人に誹謗中傷を投げかけられるのも、類似心理となると思います。
以上、今回は少し指向を変えて、透明人間という題材に関するストーリー性質をご紹介させていただきました。
ご高覧くださり、ありがとうございました!
「透明人間」という題材は性質を考慮する必要がある!
この記事を書いた人
~物語論研究20年~
~処女作が大手小説新人賞一次に通過~
~ポートフォリオ作品が新人賞最終選考~
~高い実績を持つ業界専門家から指導経験有~
~文章/文書に関し多くの資格を保有~
~大手外資系企業勤務(一流社畜)~
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